暦の上では「立秋」の8月7日。あの猛暑は何処へ?と言うような涼しい1日です。

6日は、「広島平和記念日」、9日は「長崎平和の日」、15日は「終戦記念日」と過去の戦争で大切な命がたくさん失われ、たくさんの残された方々が悲しみの中から立ち直ろうとしてきた歴史とそれぞれの人生を感じています。また、夏の甲子園で終戦記念日の日に黙祷する映像も子供の頃から慣れ親しんできた夏の光景です。

8月はお盆休みもあり、生と死、命について、「祈り」について何か思いを馳せる人も多いのではないでしょうか?

特定の宗教や信仰心に関わらず、「祈り」を自然に行うことが出来るのが、私達日本人が培ってきた脂質のような気がします。

さて、今回は「祈り」について・・・。

私は祈りには大きく分けて、2つあると思っています。

1つは「個人のための祈り」。個人とは「私」だけでなく、私の家族、周囲の人まで含みます。

そして、もう1つはもっと大きな意識の祈り。平和のための祈り、地球のための祈りなど。そこには「無私」の心があります。

どちらの祈りが上とか下とかなく、どちらも大切なもので、どちらも繋がっています。私と言う「個」を大切にするから周囲の人が大切に思え、それがどんどん広がっていき、また、私達は本質的には繋がっているので、大きな意識の祈りもまた個に形を変えて伝わっていく。

また祈りについては科学的にもその効果が研究されており、単に心を整える以上のものであります。祈りの効果については今では色々な本が出版されていますが、私が初めて祈りの研究について知ったのは筑波大学名誉教授・村上和雄先生「人は何のために「祈る」のか」でした。何となく、「年齢と共に神社に良く訪れるようになり、信心深くなったわ〜。」とか、特に知識やブームなどに乗らずに、自分の感覚で神社仏閣を巡られている方も、ご興味がありましたらどうぞ!

私は、あの猛暑の始まりとなった7月の連休の直前に伊勢入りし、禊と祈りの旅をして参りました。

個人的には、「お伊勢参り」と言う直感を受け取ってからも、「連休の混んでいる時に・・・??」「涼しい時期がいいな〜。」「忙しいしな〜。」等の抵抗が多少あった(笑)のですが、ちょうどその頃、「西日本豪雨」の映像がテレビに映し出され、個人のことを祈る場所ではない「伊勢神宮」に呼ばれていることの意味が腑に落ち、参拝を決めました。

連休の混んでいる時期でも、内宮の早朝参拝をすれば、早朝の清らかなエネルギーが味わえると言うアイデアを思いついたのですが、宿の予約が取れないまま、夜行バスでバタバタと伊勢入りしました。ここで伊勢神宮を参拝したことのない方に簡単にご説明すると、伊勢神宮は内宮、外宮、別宮、摂社、末社等の神社からなる125宮社の総称で、外宮を先にお参りしてから内宮をお参りするのが習わしです。そして外宮と内宮の間の距離が離れており、早朝参拝は公共交通機関が動いていないので、内宮の近くの宿に宿泊し、朝5時に早朝参拝に行きたいと言うプランを考えましたが、内宮近くの宿は連休で満室。直前キャンセルなどあって、現地で何とかなるでしょう!!と言う楽天的な気持ちで出発しました。

1泊目は伊勢参り初の二見浦泊。二見浦着後、観光案内所で、翌日、二見浦では「しめなわ曳」のお祭りが、伊勢市では神宮奉納花火大会があることを知り奉納花火大会を観覧することを選択し、ホテル探しを開始。希望の宿、神宮会館はやはり満室でしたが、伊勢市駅前のホテルでスタンダードは喫煙ルームしか空いていませんが、デラックスルームなら禁煙ルームが取れますと言われ、内宮までの早朝タクシーの予約なども案内してもらい、そのホテルに宿泊することに決めました。

最初に泊まりたかった宿には宿泊出来ませんでしたが、花火大会会場までのシャトルバスはホテルの目の前から出発しており、楽に会場入り。帰りは混雑を避け、花火の終了を待たずに会場を後にましたが、部屋に入って、カーテンを開けてびっくり。窓の真っ正面に花火が見えたのです。ホテルの部屋でゆったりと赤福を食べながら、残りの花火鑑賞をしました。そして、最終日は猛暑の中を歩きへとへとになりながら、近鉄特急に飛び乗ることが出来たのもこのホテルのロケーションのお陰でした。

ここで何をお伝えしたいかと言うと、私が今回個人を超えた「祈り」のために伊勢神宮を参拝したことに対して、大きな存在からギフトがやってきたと言うことです。自分のために祈ることも誰かのために祈ることも、そしてもっと広い範囲で人類のために祈ることも、予期せぬ何らかの形で自分のこととして返ってくる。そう考えると何か心がほっこりしませんか?

日常に少しでも多くの人が「祈り」を取り入れて頂けたらと思う今日この頃です。