早いもので、9月も半ばを過ぎ、週末、23日は秋分の日を迎えます。
今年の夏は、猛暑や自然災害に見舞われました。

亡くなった方のご冥福と大切な方を亡くされた方々の心が癒されますことを深くお祈り申し上げます。
また、災害に遭われた方が安心して暮らせる日常が早く戻ってきますようにお祈り申し上げます。

これから、私達は、外側に何が起きても、自分の内側の声を聞き、信頼し、自分軸を確立していく必要があると思います。
それと同時に、無限の源泉、大いなる意志、神様、どの言葉でもご自身がしっくり来るものでいいと思うのですが、目に見えない大きな恩寵を感じ、感謝と共に生きる時代に入ってきたな〜と感じます。

私は、今年、喪失体験があったため、たくさんの神社を参拝させて頂く機会に恵まれました。
2011年辺りから、神社に呼ばれると言う経験が始まりましたが、昨今の御朱印帳ブームの中、私は御朱印帳を持たずに、おみくじで御言葉を頂くと言う習慣にしております。

先週、長野県の諏訪大社を廻り、清々しい気持ちの中で、上社本宮で頂いたおみくじがなんと「凶」でした。

 

ただ、このおみくじの内容は、私にとって「凶」に思えなかったのです。

「人目には見えねと一人つつしめよ 隠れに神のますと思いて。」

 

これから新たな扉を開けていく私にとって、「身、口、意」を一致させなさいと言われているように感じました。
ちなみに、「身口意の三業」は仏教用語のようで、それぞれ、動作を行う身と、言語表現を行う口と、精神作用をなす心に相当します。この3つを一致させることが「創造の原理」になります。

最近の、耳障りのいいもの、見栄えのいいものがもてはやされる風潮の中、良く観察していれば、表面を取り繕った人や物だけでなく、真心のこもった誠実な人、物も密かに存在して、出会えると嬉しくなります。

さて、同行者は対照的に「大吉」を引いておりました。そこでの会話は、「大吉ってそれで有頂天になって後がないと言うか成長しないと言うかそんな感じ・・・。」「そう言えば、神社を廻り出した頃は、「大吉」の「9割バッター」で舞い上がってたな〜。」との会話が繰り広げられ、

なんか、私の「凶」のおみくじがとてつもないギフトのように感じられてました。

 

翌日の夕方、今まで参拝したいと思いながらなかなか行けなかった、府中の大国魂神社に伺いました。

 

雨の中の参拝で頂いたおみくじは、「大吉」でした。

でも、書かれている内容は決していいものではないのです。願い事も待ち人も、失せ物も旅行も・・・。昨日の会話の証明になったようで思わず笑ってしまいました。

「おほぞらに そびえて見ゆるたかねにも 登ればのぼる 道はありけり」

=先んずれば即ち人を制し、送るれば即ち人の為に制される

はい、私にぴったりのお言葉で、ちょっとのんびりしすぎてしまいたしたが「道なき道」を歩みます。

 

さて、徒然と私の体験を綴ってしまいましたが、おみくじであっても、実際に身に起こった出来事であっても、
一見、「凶」と思われるような出来事が実はとてつもないギフトが隠れていたり、
一見、「大吉」に思われるような出来事が実はそうではなかったなどと言うことが私たちの人生の中で良くあります。

本当は「出来事」そのものには「意味」はなく、自分がつけた「意味づけ」によって現実が創造されていくのです。

これは大切な創造の原理です。是非、日常のご自身の物事の受け止め方にお役立て下さい。