自然

「道志川」に導かれて

急に蒸し暑く、夏らしくなってきました。
公園ではセミの鳴き声が聞こえ、いよいよ本格的な夏到来と言った感じです。

2週間ほど前に清流と滝が恋しくて、近場でその2つのマイナスイオンを味わえる場所を探していたら、相模原市にいくつか滝があることを知りました。

目的地は「エビラ沢の滝」でしたが、その途中に清流を見つけ、河原に降り立ちました。

(エビラ沢の滝は岩肌の美しい滝でした。落石があったようで、入口がゲートで閉じられていましたが、横から入り、写真だけ・・・)

 

 

 

 

 

川の名前は「道志川」。思わず、宇宙からのメッセージと受け取りました。

「道」は、タオ(宇宙)であり、私は「道」でもある。

その翌日、ふっと浮かんだのが詩人高村光太郎の「道程」。

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため

多分、遠い昔、小学生の頃、国語の時間、この詩を学んだのだと思うのですが、

今改めて味わってみると、

「僕の前に道はない / 僕の後ろに道は出来る」と言うのは、

何かの先駆者の人は、人の引いたレールではなく、自分で線路を引いて行く、
だから自分の歩いた道を後から続く人が歩くことができる。また、
タオで生きる人、宇宙の流れで生きる人は、道なき道を歩くことになると
言っている気がします。

そして、この「父」と言うのは、「自然」でもあり、「宇宙」でもあり、
私達を包む、大きな存在のことを読んでいたのだと感じます。

私達は実は子供の頃から「目覚め」への道になるような教えは
既に学んでいて、大人になって気づくタイミングで気づくんだな〜と
しみじみ思います。例えば、メーテルリンクの「青い鳥」、「かごめかごめ」のように。

ネット検索するとこの「道程」の詩は、元はもっと長い詩で、作者の紆余曲折が謳われているようです。本当に自分の「道」を行くと決める時、今まで、この地球では、紆余曲折の末に進む人も多いのかな??って思います。本当は思い通りにスイスイ行ったらいいんですけどね〜! これから皆さんが自分の思い通りの道を進んで行けますように!

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